象徴としてのライオンを遡れば

東京・日本橋(にほんばし)のたもとにもライオン像が鎮座している。大阪・日本橋(にっぽんばし)もそうなのかは記憶が定かではない。いずれにも施与、ライオン(獅子、シーサー)の偶像はアフリカからユーラシア全体に広まり、沖縄、そして日本の本土でも守護のしるしとして、古来、使用されてきているということだ。


スリランカの国旗

東京・日本橋のたもとに置かれているライオン像

ラスコーの洞窟絵図

ラスコー洞窟の壁画。オオツノシカとライオンと説明されている。

以下、古代のライオンのことをウィキペディアから引きつつ補筆する。

ライオンは石器時代の絵や彫刻に残っている。フランス南西部のラスコー洞窟には15千年前にクロマニヨン人によって描かれたライオンの絵が残っている。のちにライオンは文化の守護者やリーダーと見なされるようになった。

北アフリカに残るエジプト文明以前の墓には、2匹のライオンが墓の両脇に鎮座しているが、このライオンは神の象徴であったと考えられている。


ハトシェプストのスフィンクス

古代エジプトのスフィンクスからしてライオンだ。スフィンクスは王家の象徴であった。また、アフリカの文化ではライオンは、国の守護者であるともされ、神殿の装飾や彫刻の題材としてよく使用された。

ミケーネ文明期に造られたライオン門の上部には2匹のライオンが彫られている。ギリシア神話には人々を襲う怪物としてネメアの獅子が登場する。旧約聖書の『創世記』には、イスラエルの部族のひとつ、ユダ族が「ユダのライオン」を自らの象徴としていた、と記されている。

中世の王家でもライオンはハインリヒ獅子公や獅子心王の呼び名に代表されるように、勇猛さの象徴であった。中世期以降、さまざまな形態で紋章にライオンが描かれ続け、現在においてもイングランドやスコットランドをはじめ様々な国旗、国章、紋章などに使用されている。フィンランドの政府旗、帝政時代のイランやエチオピアの国旗にもライオンのしるしがあった。

この写真はまるで遥か西の国の偶像のようだが実は、文京区春日の都立戦没者霊園前の壁面。この写真の少し右には、かつてこの辺りに邸を構えたかの春日の局の全身像がある。極東の島国にまで、動物園でしか見たことがないとはいえ、ライオンがかくも優遇?されるとは、ライオンのご先祖様たちも、夢にも思わなかったに違いない。

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