「日の丸」は侵略の象徴か②

マレー、ジャワ、支那、比島(フィリピン)など占領地には早々に「日の丸」が掲げられ、現地の住民は手渡された「日の丸」の小旗を否応なしに振って、「恭順と歓迎」の意を示させられました。もちろんなかには本気で喜んで日本軍の進駐を歓迎した人もいました。


日本の国旗

一方、「日の丸行進曲」が歌い奏でられ、梅干1個だけの「日の丸弁当」が登場した内地では、「祝出征」「祈武運長久」などと書かれた「日の丸」をたすき掛けにした出征兵士を、町内総出で見送りました。次第に老人・婦女子ばかりとなる顔見知りの人々の中を、高齢や若年の兵士が馴れぬ手付きの敬礼で、不安を抱きながら家族の前から万歳と「勝って来るぞと勇ましく 誓って国を出たからは…」の歌に送られて、発って行ったのでした。

「日の丸行進曲」という曲は1936(昭和11)年発表の松坂直美詞、河村光陽曲のものと、38(昭和13)年発表の有本憲次詞、細川武夫曲の2つあります。前者は、

赤は勇気を 正義を示し 白は博愛 平和のしるし

という歌詞で、これでは<時代>の要請にそぐわなかったとみえ、あまり歌われなかったようです。他方、後者の1番と4番の歌詞は、こういうものでした。

母の背中にちいさい手で 振ったあの日の日の丸の 遠いほのかな思い出が
胸に燃え立つ愛国の 血潮のなかにまだ残る

去年の秋よつわものに 召し出されて日の丸を 敵の城頭高々と
一番乗りに打ち立てた 手柄はためく 勝ちいくさ

「敵の城頭高々と」は前年11月13日に中華民国の首都南京を陥落せしめた日本軍をそのまま歌ったものでしょうか。ついで日本軍は38年になって、青島(チンタオ)、威海衛、厦門(アモイ)、徐州、広東、武漢三鎮などを占領し、城頭に次々と「日の丸」を掲げていったのでした。

この年に作られた「皇軍大捷の歌」(福田米三郎詞、堀内敬三曲)は

国を発つ日の万歳に しびれるほどの感激を こめて振ったもこの腕ぞ
今その腕に長城を 越えてはためく日章旗

と、進軍の感激を歌っています。しかし……私たちは今、次の短歌に重い気持ちで接しなくてはならないでしょう。これまでも拙書でたびたび紹介してきましたが、あえてまた著したいと思います。

侵略とは知らず 中国地図上に 日の丸しるせし わが少年期

これは1989(平成元)年12月、「観念的な反戦論しか教えられない若者たちのために、戦争の悲惨さを伝える場として佐賀県吉井町に平和記念館を開いた(『朝日新聞』同年12月9日付)」元中学教師・藤原辰雄氏の歌です。

「日の丸」は侵略の象徴か①
「日の丸」は侵略の象徴か③

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