「日の丸」は侵略の象徴か①

拙著『日の丸を科学する』(自由国民社)の第5章「敗戦でも生き残ったが」で、私は戦中戦後にさらされた「日の丸」の苦難の時代について触れましたが、これには多くの読者からご意見をいただきました。私は<侵略の象徴とまで言われた「日の丸」>に気の毒だと言う思いでしたが、この時代の「日の丸」のことは、今後もさらに研究すべきことと思っています。これからも小欄では繰り返し、この時代の国旗のことには触れていきたいと思います。


日本の国旗

ところで、イギリスの「ユニオン・ジャック」、フランスの「三色旗(トリコロール)」、アメリカの「星条旗」はもちろん、スペイン、ポルトガル、オランダ…いうまでもなくこれらの諸国はそれぞれの国旗のもとで、いずれも同じようなことを、あるいはもっと酷いことを昔からやってきました。それなのに、「日の丸」を非難したり嫌悪したりする人の中には、こうしたもと植民地大国の国旗をデザインしたさまざまな生活用品を平気で使ったり、それをかっこいいと思ったりする人たちが大勢いるのが不思議でなりません。これも自虐史観の1つの現われかなと思ったりもします。


花岡萬州「無錫ニ入ル中島今部隊」(早稲田大学図書館)

残念なことに、「日の丸」は昭和に入ってほどなく暗い歴史を辿りはじめました。当時の言葉で言う支那(シナ)、今の新聞では中国大陸で始まった事変は、私が生まれた1941(昭和16)年末から、アジア太平洋へと戦線が拡大して、大東亜戦争(政府による命名)へと拡大していきました。

「日の丸」は戦地で、そして内地で盛んに生産され、用いられました。私が東京オリンピックのための国旗を発注した時、三宅徳男さんという大阪の国際信号旗という、いかにも「旗屋の旦那」という雰囲気の方が、赤坂離宮(現・迎賓館)の羽衣の間にあった組織委競技部式典課にお越しくださいました。そして、そのきらびやかなシャンデリアの下でふと涙を浮かべ、「オリンピックの国旗は全部、平和のため。わしらは若い時分、戦争のための旗ばかり作りよってに」と感慨深げに語っていたのが忘れられません。

「日の丸」は侵略の象徴か②
「日の丸」は侵略の象徴か③

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