長野冬季五輪、世界五大陸で歌った「第九」

冬季五輪の開会式といえば、1998年2月7日の長野五輪を思い出す。私は組織委の式典担当顧問として、式場にいた。参加国の国旗を正しく製作・発注し、逆掲揚など一度もなくすることに努めたのはもちろん、地雷廃絶で、直前にノーベル平和賞を授与された“仲間”のジョディ・ウィリアムズさんをアメリカから招き、地雷掘削指導中に、モザンビークで不慮の爆破事故に遭い、右手右足を大きく損ねたクリス・ムーン氏を聖火リレー最終ランナーに指名したりした。二人との親交はその後も続いている。


1964年の東京オリンピックで使用された「日の丸」。
長野冬季五輪では「日の丸」の円の直径は縦の3分の2。
白地の白を一層白くした。

この開会式、実はその場にいた人からは見えないところで、「技術大国日本」を示す機会だった。以下、16年後の2014年2月7日付朝日新聞の一部である。

「さあ、フィナーレはベートーベンの第九、歓喜の歌の大合唱です。世界五つの都市を衛星回線でつなぎます」。アナウンサーがそう告げたあとの約20分間。世界の一体感を高め、テレビ時代の新たな地平を開くものだった。

まず長野市内のホールで、小澤征爾(78)が指揮を始める。演奏は、メンバーを世界から集めたオーケストラ。黒人が歌い、白人が続く。その姿は開会式会場のスクリーンに映し出され、合唱の輪がスタンドに広がっていった。ステージで、世界中から集まったバレリーナが踊る。

ここでテレビの画面は4分割になった。ベルリン、シドニー、ニューヨーク、北京。4都市の合唱団が声を合わせて歌う。そして、南アフリカから、黒人と白人半々の合唱が加わる。東西分断や人種差別を経験した人たちの、まさに「大合唱」だった。

「いやあ、あの時は大変でしたよ」。開会式の演出をした今野勉(77)が振り返る。TBSからテレビマンユニオンの創設に参加し、数々の名番組を作ってきた人だ。

「小澤さんを目玉に、日本らしい先端技術を見せよう。総合演出の浅利慶太さんが構想し、僕が呼ばれた。でも、5大陸で声を合わせるなんて史上初なんですから」。

小澤らの映像を5都市へ流し、それを見て歌う映像を長野へ戻すだけで大仕事だ。衛星中継は、電波が地上と往復する間の時間差もある。どうして同時合唱ができたのか。

目をつけたのは、地震の瞬間を放送するために、NHKが実用化していたメモリー付きの録画機だった。「5大陸のうち最も遅い映像が届いた時点で、一斉に会場に出せばいい。理論的にはそうなんですがねえ」。

本番まで不安だらけだったという。時間差が計算通りかどうか。気象条件によって映像が途絶えないか。実際、南アフリカの映像が、北京へ移る寸前に落ちてしまった。「誰も気づかない程度で助かった。外国の人に『日本の技術はすごい』とほめられたけど、協力してくれたNHKやメーカーのおかげです」

64年東京五輪が初の衛星中継を実現させたように、五輪は「技術の祭典」でもある。NHK技師長の久保田啓一が言う。「五輪をめざして新技術を開発するから、五輪のたびに技術は進みます」。久保田はテレビ元年の53年に岡山で生まれ、76年からNHKの技術畑を歩んできた。「技術を使って番組が作られ、視聴者に喜んでもらえる。メーカーの技術者とは違う充実感がありますね」。

ソチ五輪では、ハイブリッドキャスト対応テレビなどで番組冒頭に戻って見られるサービスを始める。6年後の東京五輪では、スーパーハイビジョンの本格放送をめざす。

この長野五輪、日本の国旗を1964年の東京オリンピックと異なる図案にした。円の直径を縦の3分の2にし、地色の白の白度上げた。雪と氷の五輪では丸が大きくないと貧弱に見えるし、アイボリーホワイトでは薄汚れて見えるからだ。いずれ詳しく述べよう。

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