キリスト教への信頼を大きく損ねた聖職者の悪行

2月6日付各紙は、国連の「子どもの権利委員会」が2月5日、カトリック教会の聖職者による子どもへの性的虐待についての勧告を発表したことをいっせいに報じている。

私は別にカトリックに恨みがあるわけではないが、その男尊女卑と秘密主義は気持ちが悪いほどだ。私は別にみなさんのようなフェミニストというほどの紳士ではないが、カトリックのように、女性は聖職者としてほとんど上級になれないことは理解に苦しむ。また、これだけのことがあってなお、自浄作用がなく、国連にここまで勧告されるとはどういうことか。


バチカン市国の国旗。
ムッソリーニのイタリアとラテラノ協約を締結した1929年に採択。憲法の付図で規定されている。鍵は『新約聖書』マタイ伝16章の「あなたはペテロである。そして私はこの岩に教会を建てよう。…私はあなたに天国の鍵を授けよう」に由来し、〈ペテロの鍵〉と呼ばれている。教皇冠の3つの輪は、現世・霊界・煉獄をつかさどる表徴で、教皇の司祭権・司牧権・教導権を表わしている。

50年余り前、上京してすぐのころ、実はカトリックの教会に通い、洗礼の直前までいったことがある。その時に、司祭が「近くケネディとニクソンによる米大統領選挙がある。カトリックであるケネディ候補当選のためにみんなで祈りましょう」とミサの場で言ったのである。

まがりなりにも政治学を志していた私はこれで目が覚めた。少なくとも、世界現状と超大国アメリカをどう把握し、今後4年間をどうしようしているのか、政策や実績も顧みないで、ただ、カトリックだからということで、選挙権もない日本の若者にその当選を祈らせるというのが私には納得できなかった。今となってはいかにもナイーブな、田舎からぽっと出の私が懐かしい。

その後、法王(教皇)が来日したとき、靖国神社に向かうことを検討し、三番町の駐日バチカン大使館が準備を始めた時には、教皇の靖国参拝は結局なされなかったが、その寛容さに感心し、再びカトリックに少し魅かれたが、それも俗事の中で紛れてしまった。

思えばほとんどどの宗教にも大なり小なりスキャンダルがあるらしいが、およそ聖職にある者はまずもって手本を示す態度であるべきだし、事態に対してバチカン教皇庁は即座に厳正な対応を採るべきであった。

朝日新聞の報道は以下の通り。まさにバチカンの一大醜聞である。『聖書』に由来して、国旗に描かれている「天国の鍵(ペテロの鍵)」をこういう元聖職者には手渡せないというほかない。

「子どもの権利委員会」は聖職者が教会の権威の下に、世界中で何万人もの子どもを虐待してきたとして深い懸念を示すとともに、バチカン(ローマ法王庁)が虐待に気づいても、司法当局には知らせずに異動させて逃がすことで黙認してきたとして、徹底調査や訴追を求めた。

勧告はバチカン市国が提出した報告書を基に、ローマ法王庁の幹部や市民団体から意見を聞いてまとめた。同委員会は、結婚が許されない神父が産ませた子どもについて、父親の名前を明かさない守秘義務を母親に課したうえで、バチカンが金銭援助をしているとも指摘。子どもの知る権利に反すると訴えている。

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