天皇旗や菊の御紋章の使用例⑤ 日露国境線沿いにあった4つの標石

1905(明治38)年9月5日のポーツマス条約で日本は北緯50度以南の樺太(サハリン)を領有した。このため、1906年から焼く2年の歳月を要して天測により東西132kmにわたる国境画定作業が実施され、4つの天測境界標と17ヶ所に中間標石、19ヶ所に木製の柱が建てられた。その南北10m幅が林空とされ、立ち入り禁止区域と設定された。


「天4号」を警備する兵隊。

ロシアの国章。
中央にあるのは竜を退治するゲオルギウスの様子。
「双頭の鷲」は東ローマ帝国に由来するもので、東西にまたがる大国であることを示している。

作業には大島健一(砲兵大佐、後に陸相)、リレーエフ参謀大佐が両軍の指揮者となり、三角測量で名を成していた矢島守一、東京帝大の助教授で天文学者の平山清次なども加わったが、標石のデザインには志賀重昂の意見が大きかったとか。

各標石は若干大きさやデザインをことにするが、南面には16八重表菊の上に右から左に読むように「國帝本日大」、下に「界境」と彫られている。ロシア側には「双頭の鷲」の帝政ロシアの国章と、ロシア語で「РОССИЯ」(ロシア)、そして下にГРАНИЦА(グラニッツア=国境)とあり、側面には1906年に天測によって決めたことを記している。

戦後、日本がサハリンから撤退してからも1970年代まではそのままであった。しかし、80年代になってからKGB(ソ連国家保安委員会)の指示を受けた、国境警備隊によって次々に撤去された。しかし、4つの標石のうち一番東にあった「天1号(オホーツク海に近い旧・鳴海にあったもの)」はユジノサハリンスクの郷土博物館に展示されており、私も何度か見たことがある。ちなみにこの博物館、日本時代に建造したものだが、旧関東軍総司令部(現・長春=元新京)

複数の銃痕が残る「天2号(幌内川にあったもの)」はアレクサンドル・ツイガノフ氏(当時34)歳というスミルノイフ(旧・気屯)在住のロシア陣が保有していたのを、北海道新聞ユジノサハリンスク特派員だった相原秀起記者が譲り受け、現在、根室市花咲の歴史と自然資料館に展示されている。

その旧。気屯の北約30㌔地点にあったのが「天3号」。1938(昭和13)年のお屠蘇気分のころ、人気女優・岡田嘉子が愛人・杉本良吉とともに、北日本各地で警察官の慰問と称して法苦情し続け、最後は国境警備に当たる警察官を欺いて50度線を馬橇で強行突破して亡命するという事件を起こした。それがこの「天3号」付近での出来事であった。「天3号」は第2次世界大戦直後の1949年、ソ連軍によって爆破されて残っていない。

「天4号」は間宮海峡に近いボズウラシチェニ〔旧・安別〕にあった。ロシアの民間人が個人的に保有している。露側の面にあるはずの「双頭の鷲」がいつの時代にか抉りとられている。明治神宮聖徳記念絵画館前庭には1926年に作られたそのレプリカがあり、いつでも見ることができる。また、この絵画館には安田 稔(1881~1965)による「樺太國境劃定」の壁画が展示されている。日露両国の陸軍が標石を設置している様子が描かれている。

なお、北緯50度線以南のサハリンは1905年のポーツマス条約で日本の領土となり、1951年のサンフランシスコ講和条約で日本が放棄した地域である、特定の国に渡したわけではないので、教科書や地図帳などでは、所属先を不明と表記している。

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