彬子女王殿下が結ぶモアイ像プロジェクト

11月25日、都内のホテルで東京コミュニティカレッジの創立50周年記念のつどいが開催され、同カレッジの理事長を務めている私は昼食をはさんで約3時間、終始、三笠宮彬子女王殿下に陪席させていただきました。


チリの国旗。ダルビッシュ有が活躍するテキサス・レンジャーズの本拠地テキサス州の州旗は青の部分が下まで伸びたもの。チリの国旗は1817年、応援に駆け付けた米兵がデザインしたというがテキサスが米領になったのは1848年。両者には直接の関係はなさそうだ。

日本の国旗

イースター島の旗。「ラパ・ヌイの旗」または、現地での島の呼称「パスクア島の旗」。
中央のしるしは「レイミロ」(Reimiro)と呼ばれ、木彫による伝統的な女性用胸飾り。

9年ぶりにお目にかかったのにかかわらず、老生(本人は「未老年」のつもりですが)のことをよく覚えていてくださり、とてもうれしかったです。

それもそのはず? というのは、9年前、彬子女王が明日、イギリス留学に旅発たれるという前夜、ご尊父・寛仁親王とともに、難民を助ける会が主催するチャリティコンサートにお出ましくださったときのことです。休憩時間中に「トモさま」と私は昔話ですっかり盛り上がり、第2部に遅れてしまったのです。両殿下には真っ暗な中を這うようにして貴賓席にお入りいただきました。私はその日の昼に、モスクワでの日露専門家会議から戻ったばかりでボーッとしていたのでしょうか、あるいは、もう◯◯症が始まっていたのでしょうか、お二人下には申し訳ない失態でした。

閑話休題。彬子女王殿下の聡明さと皇族としての責任感の強さには感銘しました。さすがオックスフォードで博士号を取得したというだけの方とお見受けしました。これだけの時間ご一緒させていただいたのですから、さまざまな話題が出ました。中でも、チリのイースター島の島民によって造られたモアイ像を、日本とチリの友好と震災復興のシンボルとして、今年5月、宮城県南三陸町に寄贈された「モアイ・プロジェクト」の話が特に印象的でした。女王殿下は、そのモアイ島と三陸町の両方を訪れ、両国の友好・親善に特段の役割を果たされたのです。

イースター島Easter Islandは南太平洋上に位置するチリ領の火山島。現地のラパ・ヌイ語ではラパ・ヌイ(Rapa Nui)。チリの公用語であるスペイン語ではパスクア島(Isla de Pascua)で、”Pascua”は復活祭(イースター)を表します。

このように日本では英称で呼ばれることの多い島にはほかにフランス領のニューカレドニアがあります。フランス語ではヌーボケレドニー。
1000体におよぶモアイ像で有名。周囲には殆ど島らしい島が存在しない絶海の孤島に独自の文化があったとされています。「ラパ・ヌイ」とはポリネシア系の先住民の言葉で「広い大地」(大きな端とも)という意味だそうです。

南三陸町に寄贈されたモアイ像は、高さ約3メートル、重さ約2トンの巨大な石像で、地理に詳しい澤内同カレッジ理事(元頌栄高校教諭)によれば、“Moai”には「未来に生きる」という意味が込められているのだそうです。

チリと南三陸町との友好関係は1960年のチリ地震の津波が三陸海岸までやってきたことから始まりました。30周年に当たる1990年に復興と友好、防災のシンボルとして宮城県志津川町(現在の南三陸町)にモアイ像の複製をおくるという話がまとまり、翌年、それが設置されました。このモアイの原石は、チリ産の黒色輝緑岩(凝灰岩)。チリの技術者が製作したものを、46日かけて船で運びこまれたものです。しかし、2011年3月の東日本大震災で像の頭部が流出。新たな町の復興のシンボルとしてモアイ像を復活させたいと考えた南三陸町志津川高校の生徒の皆さんの想いが、このプロジェクトを実現させたのです。

彬子女王殿下にはモアイ像やイースター島についていろいろご教示いただきました。

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