禅師にも「日章旗」へ発砲させたアメリカ

術後の静養と年末年始の休暇で、久々にさまざまな書物を手にすることができた。その中の1つ、『窪田空穂全集』第11巻で戦争中の佐々木指月(しげつ)の消息が取り上げられている。


日本の国旗

アメリカで活躍したドナルド・キーンの師・角田柳作は明治10(1877)年生まれ。戦時中も早稲田で教鞭をとっていた歌人・窪田空穂も同年生まれ。そして、アメリカで禅の普及を図っていた佐々木指月は明治15(1882)年生まれである。以下は、そんな人物が交錯する昭和10年代後半、すなわち、日米開戦後の話である。アメリカ人の、少なくとも当時のアメリア人のメンタリティを知る貴重な一文として繰り返し読んだ。

「私は久松潜一氏の筆になる一文を読んでゆくと、その中に佐々木指月の名を発見した。その文章の前後の関係から、彼の名がそこに現れた理由も経路も知ることを得た。アメリカ政府は、日本と戦争状態に入ると共に、かの地にいる日本人の全部をもれなく調査し、その一人一人を対象として、アメリカ政府に対して忠誠を誓うか否かを糾明した。その方法は、単に口頭だけのものではなく、日本の国旗を目標として発砲させたのである。佐々木指月も糾明されるうちにいた一人であった。彼は発砲目標となっている日章旗を目にしての糾明の場に立たされると、頑として査問をこばんだ。こばむことは敵意を抱いていることで、同時に捕虜とされることである。指月は鉄条網で囲んだ内の、監視兵の立っている営舎に移されたのである。」(全集11巻。p237)

佐々木指月(曹渓庵 1882~1945)は「海を渡った放浪の禅者」といわれ、戦前アメリカに禅仏教を紹介した先駆的な禅者であり、ニューヨークを中心に活動した人物(主として『禅』人間禅出版 5号、2002年)の堀正広熊本学園大学教授の論文などを参照)。指月の最晩年に結婚したルース・フラー・ササキ(1892~1967)は、夫の死後、すなわち戦後アメリカで禅の普及に尽力した人。

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