外国では反政府デモで国旗を振るのに – 箱根駅伝ではなぜか読売の社旗

今日(1/2)は恒例の箱根駅伝にチラチラと目をやりながら書いてみようと思います。


タイの反政府デモでは国旗が林立。12月16日のNHKテレビから

箱根駅伝、沿道の皆さんのほとんどがなぜか「素直に」読売新聞の社旗を振って応援する。

沿道で応援するみなさんは、どうして与えられる読売新聞社の旗を懸命に振るんでしょうね。毎年、おかしいというか素直というか、不思議に思っています。

私は金にあかせて他球団の優秀選手を引っこ抜くというジャイアンツは昔から嫌いですが、報道機関としての読売新聞は大好きです。報道も論説も中道やや右くらいでいいのですが、これほど大量に社旗を配るというセンスは巨人軍の運営と同じで、嫌いなのです。せめて、国旗「日の丸」も配ってはいかがかなと思います。

そういえば、今年はテレビ画面に、ほんのわずかの方ですが珍しく「日の丸」を振っている人の姿が見られます。

エジプト、タイ、ウクライナなど昨年も各地で反政府デモがありましたが、興味深く、かつ感心するのは反政府側がそろって大量の国旗をかざして、国を愛する気持ちから政府を倒そうとしている態度を示していることです。日本でも普天間基地県内移転に反対、原発反対、特定機密保護法反対などでそれなりの人数が集まっているようですが、国旗「日の丸」を振る人はまずいません。私がこれらの人たちの主張に賛成なら、堂々と「日の丸」を掲げてデモに参加するのですが、箱根駅伝同様、どうして「日の丸」を使わないのでしょうね。

2014年元旦を、私は孫5人(全部男の子!)とその家族、計11人とともに過ごしました。いやはや・・・疲れました。

大晦日の23:20ころからフジテレビ系で放映された、1964年の東京オリンピック閉会式に関するコーナーで私が出演しましたが、山間僻地にいましたので、フジ系は受信できす、自分で見たのは元旦の夜、帰京してからのことでした。あの閉会式が見事に、国籍男女の別なく和気あいあいとして入場できたかについての「秘密」を、当時、組織委式典課に在籍していた者として多少の感想をお話ししたまでのことです。手術前の収録でしたので、私は今より少しふっくらしてもいたし、まだパワーがあるように映っていました。

それはともかく、みなさまから多数の年賀状を頂戴し、2時間近くをかけて拝読させていただきました。ありがとうございました。今年もどうぞよろしくお願いします。

実は、ここで、世の中こういう間違いも起こるということをお伝えいたしたいのです。なんと下記の要領で、私がステージで日本の叙情歌などを約10曲歌うことになりました。

ことここに至ったのは、こんな経過によるものです。去る10月に、組曲「無言館」(門倉さとし作詞、長森かおる作曲)のCDができました。出演は「ももたらう」というアカペラ三重唱(ソプラノ、アルト、テナー)のプロの3人。いずれも音大出身の演奏家のみなさんです。

そこに本来はハイ・バリトンである私が、人材不足のためバスパートを受け持って3、4曲参加したのです。ところが、おかげ?でこのCDが好評。11月7日にはCD発売記念コンサートを横浜の「かなっくホール」で開催いたしました。

そうなると是非、東京ででも、とお世話になった「ももたらう」を売り出そうという欲が出、畏友・古木謙三グローバル・ユース・ビューロー社長(私が理事長を務める社会福祉法人さぽうと21の役員)に、「ももたらう」に東京で歌う機会をとお願いしたところ、二つ返事で、「どうぞ、いつでもわが社自慢のホールを使っていただいて結構です。但し、吹浦さんが前座を務めることが条件ですよ」と念を押されてしまいました。

「ブタもおだてりゃ木に登る」「ヘビもおだてりゃ手を叩く」と申します。巳年の私はなんと「ない手」を叩くお調子者ぶりを発揮、コンサートの計画が出来上がってしまったのです。

そこで、「当日は、神仏とあなた様のご加護にすがりつつ、文字通り懸命にあい努めますので、何卒、万障お繰り合わせくださり、ご光来賜りますよう、願い申し上げます」と申し出たところ、義理人情に厚く忍耐力にすぐれた約70人が「耳栓ご持参の上」お越しいただけることになりました。遠くは九州・門司からお二方、関西からもご夫妻、三重県からも3人もがお越しくださいます。なにとぞ、前座が主役を務める前半は日ごろの寝不足を補っていただき、後半出演の「ももたらう」ほかの名演奏をお楽しみいただきたく、と、例の同時多発テロのような胆石の手術と尿閉治療の後、すぐにご案内をいたしました。

私が歌うのは主として第2部「タディが歌う日本の叙情歌」のところで、「初恋」「出船」「九十九里浜」「白鳥の歌」「サッちゃん」「落葉松」など。東 順子さんのピアノ伴奏です。

私の音楽歴ですか?

この際、正直に話しましょう。「神童と呼ばれていた時分」にはアコーディオン、「紅顔の美少年と羨ましがられていたころ」にはクラリネットを嗜むも、本人の得意と世間の評価が必ずしも一致せず、その後しばし、フルートに挑戦すれども将来性のみ期待(?)され、今日に至っております。先年、杉並公会堂で石井 歓作曲の組曲「大いなる秋田」を演奏するのでと誘われ、クラリネットで出演すると約束したのですが、第3楽章でしたか、4つの三連符が60小節あまり続くところで、老生は舌が回らず(タンギングが続かず)テノール・パートに「転戦」したという屈辱?を味わいました。実際には、三連符の冒頭の音だけを演奏している奏者もいたので、なおのこと残念。そんな秘技をしらない私は、中学高校時代にいかに真面目に吹いていたか、もとい性格がまっすぐかを再認識したのでした。

ところが、還暦を過ぎてから、尊敬する河合弘之弁護士と河合邸で「お耳汚しのデュエット」を2度、催したころから、人生が変わってしまったのです。すし屋や天ぷら屋のおやじたちの協力を得て、「お口直し」をしていただいたり、目と耳の保養のためにそれぞれに美貌のソプラノ歌手の客演を求めたり、このコンサートでは大いに「工夫(ごまかし)」をしました。

そこへ偶然、居合わせた松田とし先生(元NHK歌のおばさん、「スター誕生」こわもて審査員)から「私の最後の弟子にしてあげるからいらっしゃい」と誘われ、「来るものは拒まず」、もとい「またとない光栄な機会(誤解)」と立ち上がった私は、爾来、先生が3年前に亡くなられる直前まで、本業をさしおいて「日本歌曲」を師事いたしました。また、その後は、飯田悠紀世先生にご指導いただいております。今回歌う「サッちゃん」は阪田寛夫作詞、大中恩作曲によるものですが、わが師匠・松田とし先生に献呈された作品です。

そのほかの歌唱歴といえば、先年、紀尾井ホールで数曲歌う機会がありました。また、ともに「怖いもの知らずの」河合さん(失礼!)とフィリピンまで出かけてコンサートをしたり、何度かステージに立ったことはありますが、所詮はまったくの素人。また、身のほど知らずは落語の「寝床」の世界で、至る所にご迷惑をおかけしております。ただ、拙著『歌い継ぎたい日本の歌 – 愛唱歌とっておきの話』(2002年、海竜社)はおかげさまで好評でしたが、これは言わば「畳の上での水泳」に過ぎません。

今回は、「お耳直し」に「ももたらう」の歌や、ハンガリーで多年修行された東 順子さんのピアノ演奏がございます。前座だけでお帰りいただくと、本人がますます図に乗り、世間に迷惑をおかけいたしますので、どうぞ最後まで「惜しみない拍手」をよろしくお願いいたしますと懇願しています。

とはいえ、残念ながら、と申しましょうか、いいえ、おかげさまをもちまして発表と同時に満席になりましたので、以後はたぶん、ダフ屋の利潤を増やすだけですから(一度は言ってみたいセリフ)お申込みいただいてもどうにもならないと思います。申し訳ない次第です。

日本の抒情歌を歌うのに「日の丸」がない? そうか、今度、「日の丸」の唱歌を歌うときにはそうしようかなぁ。

それはともかく、小欄の表紙、㈱ライトの伊藤よしみ・輝母子の奮闘?で新年らしいすがすがしいデザインになりました。おかげで、うれしい新年を迎えることができました。
今年も、みなさまよろしくお願いいたします。

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