カラシニコフ氏、死亡 – AK47をモザンビークの国旗に残し

戦後、世界的に普及した自動小銃AK47(通称・カラシニコフ)の話。AKB48やAKOH(赤穂)の47士の話でもないし、サンフランシスコのアメフトチーム49sのことでもない。

発明者であるロシアのミハイル・カラシニコフ氏が12月23日、ロシア西部イジェフスクの病院で亡くなった。94歳。


兵士を表わすAK47、農民を表わす鍬、そして書物で知識層と教育の重要さを描いたモザンビークの国旗。1983年5月1日制定。
ポルトガルからの独立を主導したモザンビーク解放戦線(FRELIMO)の旗のデザインを基調とした。緑は国土の豊かさを、黒はアフリカ大陸とその国民を、黄は豊かな鉱物資源を、白は平和を、赤は独立への苦闘を象徴している。紋章は社会主義諸国との連帯を示している。

カラシニコフ氏。F2の画像を放映したNHK/BSから。

カラシニコフ(AK47)を構えて整列するロシア軍部隊

同氏は大祖国戦争(第二次世界大戦における対独戦)でソ連軍の戦車部隊に所属していたが、敵の自動化された小型武器の優秀さに衝撃を受け、戦争直後の1947年、自らこれに対抗できる火器を考案した。部品の数の少なさ、構造の単純さ、丈夫なこと、安価なことなど好条件が重なり、ソ連のみならず共産圏に広く普及した。

このため、本来なら巨万の富をえたであろうと言われるが、「自分は祖国の防衛のために尽くす兵士の一人にすぎない」として、小さなアパートに住まい、国家が大将の称号を授与したことのみを名誉として繋しい一生を終えた。

AK47は後年、中国がそのコピーを製造し、今日、世界で圧倒的に普及している小型武器である。

多くの紛争やテロ行為にも用いられた。ベトナム戦争時、国際赤十字の駐在代表として中部地区の責任者の任にあった時、米軍将校が「われわれの制式銃は雨に弱い。カラシニコフは水に漬けても撃てる」と慨嘆し、中には、北ベトナム兵から奪ったこの銃を使うという米兵まで現れる始末。

この銃の詳細については、畏友。松本仁一朝日新聞特別編集委員(現在退任)が『カラシニコフ』というすばらしい一書をものにしている。西シベリアを訪問し、カラシニコフ氏にも取材している。

国旗に小型武器が登場する例はいろいろある。古典的武器もあれば、重火器もある。いずれそのあたりについては触れることになろうが、とりあえずはAK47がモザンビークの国旗に描かれていることを紹介するにとどめたい。

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