「虹の旗」で覆われて逝ったマンデラ元大統領

「英雄よ、故郷で安らかに マンデラ氏、南アで埋葬」、12月16日の朝日新聞夕刊は、この見出しの下に、南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領の葬儀が前日、故郷の東ケープ州の丘陵地帯にある農村クヌで開かれ、家族と同じ墓地に埋葬された。地元メディアの映像から撮ったAFP時事の写真を紹介している。


南アフリカの国旗。

葬儀の日、南ア軍ヘリが国旗を掲げて議場上空を編隊飛行した。

棺は黒人・白人の別なく、国民の代表に付き添われた。

写真は、BBCやフランス2チャンネルなどの海外放送をNHK/BSが報じた場面から。

マンデラ氏が「最も幸せな年月を過ごした」というクヌには、旧植民地宗主国である英国のチャールズ皇太子ら各国の要人や著名人ら約4500人が参列。マンデラ氏の孫は「彼は裸足で学校に通ったが、この地で最も高い地位に上った。私たちは彼を手本に生きていかなければ」と演壇で語った。

埋葬は、マンデラ氏が属するコサ族の伝統的な方式で親族によって行われた。会場周辺は厳重に警備され、村民も近寄れないが、黒人、白人の代表によって付き添われ、メディアを通じ世界に報じられた。

マンデラ氏は12月5日に逝去し、10日には、日本から皇太子殿下が参列されたほか、オバマ米大統領ら世界の首脳級約100人が集う追悼式があった。遺体は首都プレトリアで3日間公開安置され、約10万人が別れを告げた。

棺は「虹の旗 Rainbow Flag」と呼ばれる南アの国旗でくるまれた。ただ、よく見ると、国旗を一度、裏返ししたもので覆っているのが判る。

故元大統領は自らの就任演説で述べたように、人種差別のない「虹の国」をつくろうという理想を呼び掛け、世界中の尊敬を集めた。国旗は6色から成るという、全国旗中、最も色数の多いものとなった(その後、2011年に独立した南スーダンも6色の国旗)。

虹の色ならなぜ6色?と言われそうだが、これは科学の問題というより、「いくつの色と見るか」という文化の問題。日本では、「七色の虹」というように、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の7色というが、これは、ニュートンの説による。それまでの英国では、赤、黄、緑、青、紫の5色といわれていたが、ニュートンは柑橘類のオレンジ色と植物染料インディゴの藍色を加えて、虹は7色とした。もちろん、ニュートンは虹の色彩が徐々に変化していることを知っており、色の数ははてしなく変化していることを理解していたうえで、虹を7色としたのは、当時、「7」が神聖な数と考えられていたからだそうだ。
ちなみに、ドレミファソラシの7音で1オクターブを構成するのもニュートンは美しい虹も同じだとしたのである。(ちなみにその2=私が以前教壇に立っていた某女子大学に「七音」と書いて「どれみ」と読む名前の学生がいた!)

だから「七色の虹」というのは特に学術的なものいいではなく、現に、イギリスをはじめ欧米に虹は7色だという「常識」があるわけではない。むしろ、赤、オレンジ、黄、緑、青、紫の6色と認識されるほうが普通である。

ドイツでの教科書はいかにもこの国らしく、虹は赤、オレンジ、黄、緑、青、紫の6色から成り、ニュートンはそれに藍もあると唱えて7色としたとの記述があるそうだ。

ウィキペディアによると、「日本でも5色(古くは8色や6色)、沖縄地方では2色(赤、黒または赤、青)、中国では古くは5色とされていた。なお現代でも、かつての沖縄のように明、暗の2色として捉える民族は多い」ということのようだ。

この国旗への愛称は国外ではそれほど普及していない。それは、この国旗が制定される以前に、「虹の旗」という名の旗は既に平和運動の象徴であり、同性愛者のシンボルであったからであろう。そっちのほうもまた6〜8色といろいろ種類があるが、いずれ紹介したい。

メニュー