ケネディ暗殺から50年

11月22日(現地時間)昼、テキサス州ダラトで米35代大統領J・F・ケネディが銃殺された。そのすばらしい就任演説は後に日本でも教科書に載ったり、暗記させられたものだ。


暗殺直前のケネディ大統領ご夫妻

50星の「星条旗」で覆われた柩に寄り添うケネディ夫人とキャロラインちゃん。
国旗で柩を覆う場合、アメリカでは必ず、個人の心臓を覆う部分にカントン(星の部分)が来るようにする。NHKテレビより。

この事件にはまだまだ明らかにされていない事実があるようだが、とにもかくにもテロで大事な人を失った悲しみは世界に広がった。

私はあのとき、オリンピック組織委員会式典課の慰安旅行のため、小型バスで河口湖から山中湖方面に向かうところだった。ところが道すがら目に付く「星条旗」が全部、半旗になっているではないか。これはひょっとしたら大事件! と運転手さんにラジオを入れてもらったらこの大ニュース。翌年の東京五輪を控え、もし、大会期間中にこういうことが起こったら、どうしたら良いのかと、この後そればかりを考え、メモ書きでいっぱいになった。

実際には15日にソ連でフルシチョフ第一書記が解任され、翌日は中国が初の核実験をした。日本でも閉会式の翌25日、池田勇人首相が退陣した。幸い、会期中は無事だったが、8年後のミュンヘン五輪では、ご承知のような大規模なデロ事件が起き、イスラエルの選手や役員が逝去するにいたった。

ケネディ大統領争議の日のキャロライン嬢のかわいらしさをいう人は多いが、あれからちょうど50年目の11月、駐日大使として着任、もしかして、次々回くらいには大統領候補となるのかもという話題が永田町や霞ヶ関では盛んである。そのためには大使時代にワシントンとのパイプを強め、国民的注目を集める必要があろう。

1973年から始まった日ソ専門家会議であるソ連側の学者が「アメリカという国は国民が大統領を殺す。ソ連ではトップが自国民を殺す」というスピーチをしたのが忘れられない。

アメリカでは第16代のA・リンカーンが1865年4月11日に俳優J.W.ブースにより観劇中に銃殺され、第20代のJ・ガーフィールドが1881年7月2日にテロに倒れ、医療ミスも重なって、同月19日に死亡している。


リンカーンの柩を覆った36星の「星条旗」

ガーフィールドの柩を覆った38星の「星条旗」
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