織田幹雄が優勝したときの「日の丸」

第3回アジア競技大会(1958、東京)では初めて聖火リレーが行われた。聖火はその4年前に大会が行われたマニラで採火されたもの。そしてその最終ランナーは1928年のアムステルダム五輪で優勝(日本人初の金メダル獲得)した織田幹雄(1905~98)だった。


三段跳びの覇者・織田幹雄

この日に合わせて明治神宮外苑競技場(1924年創立。かつて学徒出陣の壮行会が挙行されたところ)を全面的に建て直し、国立競技場となった。そしてそのフィールドには、織田がアムステルダムで出した三段跳びの世界記録(当時)15.21mを称え、電光掲示板下のフィールドにその長さの国旗掲揚塔が建てられている。

アムステルダムオリンピックで織田が優勝したとき、表彰式用の日章旗がなかった。日本人として、アジア人としては初のオリンピックでの金メダル獲得。主催者にとっては「想定外」のことだったのであろうか。そこで、日本選手団がたまたま持参した「日の丸」を代用した。それは優勝した選手を称えて体を包むためのやや大型の旗だったが、やむなく表彰式ではこれを用いた。このため、織田を称える日章旗だけが2、3位の選手の旗より図抜けて大きいという結果になった。写真ものこっているそうだが、私は見たことがない。

どなたか写真があったら見せてください。

後に東京五輪のときに組織委で国歌を担当したNHKの武石さんという方から間接的に聞いた話では、この時の国歌は「千代に八千代に」と途中から流され国旗が掲揚されたと本人から伺ったことがあるという。

メニュー