オリンピックで国旗担当者がなすべきこと – 東京・長野五輪での経験

私は1964年の東京オリンピック(以下、1964Tokyo)の際、組織委員会式典課の国旗担当専門職員として、また、1998年の長野冬季オリンピック(以下、1998Nagano)には式典担当顧問として、主として国旗に関するさまざまなことに直接関わりました。その経験を思い起こし、どんなことをしたのか、また、半世紀以上にわたる国旗研究の成果から、自戒のオリンピックでは何をすべきかを列挙してみます。2020年のオリンピックを東京で開催するに当たり、参考になることが多いと思います。


1964年の東京オリンピックで開会式の入場行進のため、各国名を書いたプラカードを持って集合する防衛大学校生たち。
同五輪公式報告書より。

同五輪開会式開始直前の筆者
(国立競技場正面下のアリーナで)

国旗による大会の盛り上げ、国際理解の推進というプラス面に注目するのはもちろんですが、国旗に関わるミスは多方面に波紋を起こすことに十分留意しなくてはなりません。1958年に東京で開催されたアジア競技大会表彰式で中華民国(当時は国連安保理常任理事国)の国旗(青天白日満地紅旗)逆掲揚という失態を演じた先例を拳拳服膺して準備にあたる必要があります。

そのためになら私は2020年まで、日本でのオリンピックの「語り部」として、いかなる知見をも広く伝達したいと思っています。

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