オリンピックと重なった出陣学徒への思い

1964年の東京オリンピックの1年前に、プレ・オリンピックと称し、いわば本番を想定したルハーサルのような大会を行い、開会式は同じ国立競技場で実施した。また、本番直前にも2度ほど予行練習をした。畏れ多くも一度は、私(組織委式典課最年少職員)が天皇陛下の役を演じ、松戸節三式典課長に、「もっとゆっくり、荘重に歩け」「そこで手を触れ」「ブランデージ会長と握手」などと注意されたりもした。

それはさておき、あるリハーサルのときは電光掲示板付近で、旗の掲揚について確認や指示をしながら、入場行進を見ていた。各国旗を持ちながら入場行進する選手団の役は何校かの高校生や大学生だった。


出陣学徒は各大学の校旗を先頭に模擬中を抱えながら雨中を行進した。

古関裕而作曲の「オリンピックマーチ」などと合わせて何千人もの学生が行進するのだ。私にはいやでも1943(昭和18年)10月21日にこの場所にあった明治神宮外苑競技場で、雨の中行われた、壮行会の映像がまぶたにダブって、観覧席のほぼ最上段で一人、滂沱のごとく涙を流したのを覚えている。同じ世代の当時の若者はここから戦場へ散って行ったのだった。

学徒出陣から70年、今月は各地で追悼式が行われた。その一つ、国立競技場の脇にある記念碑は早稲田のOBであの日出陣した寺尾哲男さん(90)が中心になり学際的に建てられたもの。


観覧席は女学生たちで埋め尽くされ、大伴家持の和歌に信時 潔が作曲した「海ゆかば」を斉唱して送った。

出陣学徒は各大学の校旗を先頭に模擬中を抱えながら雨中を行進した。

早稲田大学からは少なくとも4500人が学徒出陣し、500人を超える学生が犠牲となった。

20日は、キャンパスにある慰霊碑に、元学徒や遺族、それに大学の関係者などおよそ70人が集まり、献花に続き、雨の中、全員で校歌「都の西北」を歌い、学業半ばで英霊と化した先輩たちを追悼して合掌した。

早稲田大学3年生の時に出陣した寺尾哲男さんは、「学生が戦地に駆り出される異常な世の中に再びならないよう、学徒出陣の記憶を若い世代に受け継いで欲しい」と話していた。

また、東洋大学や法政大学では、学徒出陣などにより、各数百人の学生が犠牲となったとされるが、詳細な記録がなく、調査を続けている。沖縄師範学校に在学中、沖縄戦に動員された大田昌秀元沖縄県知事は20日に講演し、「出陣した多くの学徒たちが沖縄戦の特攻で亡くなった。また、住民も多く犠牲となり、沖縄戦は戦争の醜さの極致だ」と語ったと報道されている。

国立競技場の慰霊碑ではこのあと、現役の学生など、集まったおよそ100人が黙とうをささげ、花を手向けた。


映像はNHKテレビから

2020年の東京オリンピックで国旗をどうするかはさまざまな視点から検討されなければならない。技術革新が大きく進んでいる中で、既に旗屋さんのほうがまじめに研究を始めており、先ほども私のところに意見を求めてやってきた。All Japanの力を結集して取り組まないと、私はとても安心して観客席か茶の間で眺めているわけにはいかないように思う。

平和の象徴のような次期東京オリンピックが実現されることを祈る。

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