国旗のある風景 – 「悲劇の済州島」で前田郷司氏が撮影

関西にお住いの尊敬する前田郷司(さとし)さんから、先日、メールをいただいたのですが、いかんせん、一家全滅(といっても二人ですが)の肺炎で息も絶えだえでしたので、ただただ心で御礼を申し述べるだけでした。ようやくほぼ全快し、読み直してみると、こんなすばらしい写真も一緒でした。以前も、スペインから陶然とするほどきれいな写真をお送りいただいたことがあるのですが、今回はそれに勝るとも劣らない、済州島と漢拏山(ハンラサン)にほれぼれ、おっと「太極旗(テグキ)」にも、時節柄?好感をもってしまういい写真だと驚嘆してしまいました。こんな謙虚な一文も付いていました。

私は1968年に一度、済州島を旅行したことがあります。当時はまだ素朴なだけで、海鮮、特にアワビが安くて美味しかったことを覚えています。そうそう、それと「三多島」の別名があるほど、風と岩と女が多いところでした。女性が多いのは男が漁で亡くなったり、日本や本土に出稼ぎに行ったりするからだと聞いたように思います。今はどうなのでしょうか。数か月前にこの島を訪ねた仲間は、すばらしいリゾートになっていると言ってました。もう、共産主義者が武装蜂起して大勢の死者(6万人説も)を出した1948年の「4.3事件(サーサムサキョン)」は語り継がれる歴史として書物の中に入ったままなのでしょうか。

済州島は新羅時代から流刑地であり、日本時代以降、韓国では最も貧しい地域と言われてきました。在日韓国・朝鮮人の3分の1は済州島系の人だという話を聞いたこともあります。

翩翻と翻る「太極旗」と秀麗な漢拏山、そしてリゾート化して並ぶホテル群を眺めつつ、この島とこの国の過去、現在を思いめぐらさずをえませんでした。

前田さん、ありがとう。

誰がどう勘違いすると、こうなるのか解らないのですが、小生ただいま「ある工業分野」の国際規格を制定する委員を仰せつかっております。先週4泊五日、隣国の南にある火山島にて、当分野の国際会合を初体験して参りました。事前調整、根回し、本会議での駆け引き、休憩時間のひそひそ話、会議録、決議文の文言修正をめぐる静かなバトルなどなど。

吹浦理事長がロシアとの交渉ごと等について書いておられるのを読ませていただき、何となくは想像していましたが、実地に体験すると、如何に大変かがよくわかりました。工業規格でこの程度ですから領土が主題だとどれほどか。

会議の場所は済州島の南側にある某ホテル。韓国内でも済州島だけは中国からビザ無しで入国可能なので国際会議は頻繁に開かれているようです。今回も同分野の学術的な国際学会と平行しての日程です。

会期中、天気は比較的良かったのですが、島の主峰「漢拏山 Halla-san」は雲に隠れて姿を見せず、最終日、離島直前に空港からはじめて全貌を見せてくれました。

済州島と朝鮮半島の関係は 琉球と倭の国との関係をイメージさせます。

天帝淵瀑布の公園には 済州四・三事件犠牲者の慰霊碑がありました。あまり人はいなかったのですが、碑に手を合わせていたのは日本人の私だけで、本土(半島)からの観光客らしき人たちは、目もくれず。根深いものがありそうな気が致しました。

韓国代表団の中に、済州島出身で2年前まで大阪大学で10年ほど研究を続けていたという人がいました。現在は韓国内の大学に職を得ているようです。済州島訪問は20年ぶりで、まるで様子が変わっているとのことでした。

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