100分の1のずれ – 「日の丸」の不思議な物語

某女子大生からメールで近代における「日の丸」の制定過程について問い合わせがあり、参考資料もというので、拙著を紹介してしまいました。3年前に学研新書として刊行したものです。


日本の国旗

ところで、私はこの本で、1870(明治3)年正月27日の太政官布告第57号で、円の中止が旗面の中心(対角線の交点)より、旗竿側に100分の1偏っていることについて、詳しく述べています。とくに、そこにはお雇い外国人、とりわけ、フランス系の人の影響があったのではないかとの推理を展開しました。


上の実際の国旗の色付きの図は1999年8月13日の国旗国歌法による。
下の図は太政官布告。
同法で、1870年1月27日の太政官布告第57号は廃止された。

フランスの国旗は、今のフランス海軍旗と同様、すなわち、青白赤の縦三色旗の三色が30:33:37の異なる幅になっていたのです。これは実際に掲揚された時の美しさという、いかにもフランス人らしい美的感覚に基づいたものと思います。

そこで、当時のお雇い外国人を消去法でいろいろ探ってみたところ、モンブラン伯爵かもしれないな、そんなサジェスションをするのは…と考えたのです。いかんせん、国立公文書館が西南戦争の少し前に焼失したため、当時の原史料が残っていないのです。

もちろん、私の推理力、知識・教養の不足、あるいは推理小説の読みすぎかもしれません。どうにもこの100分の1のズレが気になるのです。

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